第2話: sid 天桜史遠
史遠の漆黒の髪を、なまあたたかい風が揺らしていた。
――今・・・誰か、”覗て”いた。
「…天桜さんっ!!」
走ってきたのだろう、五十嵐は肩で息をしながら正門のほうから駆け寄ってきた。
「・・・遅かったですね」
気遣って走ってきた人に言う台詞ではないだろうが、それにはもう慣れてしまっていた。
「大丈夫でしたか?その様子だと、平気みたいですけど・・・」
五十嵐も馬鹿ではない。史遠を襲ったあの大きな霊気に気づいていたのだろう。
「気にしないでください、なんともありませんから」
はやく行きましょう、と言いながら校舎のほうへ歩いていった。
「待ってくださいよぉ…」
膝に手を当てへたばった五十嵐を置いて。
天 鏡 楼
史遠の目の前に、細身の、茶色のボブに切った髪を揺らしながらこちらへ歩いてくる少女がひとり。
―― 先程の…。
ふと、視線が絡み合う。
ともなくして少女は駆け出した。
すれ違いざま史遠はその少女・一姫だけ聞こえるような小声でつぶやいた。
「父に子を、たづねてまいれば、さぬき、さんしゅ、たどのこうり、
白たかびょぶが浦に、しん太夫と申す。・・・何かわかりますか?」
一姫は、史遠と少し距離を置き立ち止まった。
「・・・・いざなぎ流・・・って・・・ははは・・・じゃ!」
史遠が動き出す前に、一姫は文字通り脱兎のごとく駆け出した。
呪術師・陰陽師など力を扱う家はすべて国家で管理されている。
一姫のように、個人で陰陽道や呪術を使うことは、一般の組織や団体・個人に問わず憲法および法律で禁止されている。
破る者は、法律違反となり、逮捕または警察で強制労働を強いられる事になっていた。
そのために、一姫逃げ出したのである。
「五十嵐さん!捕まえて!」
突然の史遠の叫びにも似た、『絶対命令』に地面に向けていた顔を上げた。
顔を上げた先には携帯を取り出し、なにやら局番を押していると見える一姫の姿。
「開門!嗣狼、来い!」
捕まえろ、と言われたはいいが目の前に現れたのは、悪魔ではなく狼だった。
「・・・マジすか?」
と引きつった笑いをしながらも、目は真剣そのもの、というよりも楽しんでいるようだった。
嗣狼とよばれた式神から視線をはずさないように、ジーンズの右後ろのポケットにいれてある十字架をとろうとした。
「・・・。こんな時に絡まるってないっすよ…。何の漫才すか・・・」
ジーンズに十字架をさし込んでいたためか、ネックレス状になっているためか、絡まって抜けなくなっていた。
五十嵐が視線をはずした隙をついて、一姫の式神・嗣狼は、疾風のように空へと舞った。
「って!!!ぉわっ・・!ちょ、まっ!」
いまさら騒いだところで一姫が帰ってくるわけではないのだが、史遠の『絶対命令』に逆らうことほど怖いものはなかった。
「追いますか・・・?」
恐る恐る、史遠に近づき五十嵐は尋ねた。
「もう、いいです。追っても、居ませんよ。・・・携帯から式神、ね。」
最後の言葉はつぶやくように、そして史遠は身をひるがえした。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
正面玄関を入るとすぐ左に事務室、正面に職員室、右には下駄箱があった。
上手いのか下手なのかよくわからない大きな油絵が職員室の前に飾ってある。
事務室には人影はない。
事務室の窓を開け、すみませんと声をかけるとあわてた返事が聞こえた。
「はい!すみません。どういったご用件でしょうか。」
「理事長か校長に取次ぎをお願いしたいのですが。天桜、と言えばわかると思います。」
セーラー服の史遠を不審がったのか、暫しおまちくださいといって奥へといってしまった。
「またですか・・・」
「そうですね。制服で来るからいけないんですよ。」
そんな微笑ましいとも取れなくもない会話をしているうちに、事務員は奥からあわてて戻ってきた。
「申し訳ございません!どうぞこちらへ」
そういわれ、二人は促されるまま職員室の隣にある応接室に通された。
「すぐに参りますので、こちらでお待ちくださいませ」
初めの対応とはうって変わって、終始笑顔で話し部屋から出て行った。
「にしても…嫌な雰囲気の学校…」
「ですねぇ・・・」
史遠は右足を上にして足を組み、長い髪を紅い紐で一つにくくり始めた。
その行動は、仕事に取り掛かるさいの願懸けのようなものだ。
「いらっしゃいましたよ。」
足音が聞こえてくる。おそらく、理事長のものだろう。
しかし、史遠には五十嵐の声も依頼人の足音もどこか別世界の物としか取れなかった。
心ここにあらず、である。
心に留まっているのは、携帯を媒介とし式神を操る少女、そして…
「・・・・・・いざなぎ流、か」
ひとつ、大きく伸びをし考えることを止めた。
そして、史遠はいつもの表情へと戻る。笑うことのない、その顔に。
|