第4話: sid 天桜史遠
天 鏡 楼
「天桜さん?」
五十嵐が祠から剥がした札を見て、史遠は考え込んでいた。
その札は存在してはならないものだと、過去に何度も聞かされていたからである。術者の中でも知る者はわずかしかいないという、邪教の札―。人間界、私達が暮らすこの次元は陰と陽の二つの気で成立している。そのバランスを崩すためにつくられた呪符。それは、人間の感情や地脈などから発せられる陰の気を異常に、そして半永久的に集め続けるという。
「これ、もう破っちゃっても平気っすよね?」
無効化しちゃったし、と札を手にする。
「駄目!!!」
「へ?」
札を破ろうとした刹那、史遠が五十嵐の手を叩くように札を奪い取った。
「…・・・・・・破ってはいけないものなんだと思います。詳しくは、覚えていないんですけど・・・。以前、本で読んだことが。封印すべきものだと。」
「封印って・・・俺、祠の結界といちゃいましたけど・・・・マズイ事したってことじゃないっすか!!!」
そうですね、と五十嵐の叫びもむなしく史遠はポーチの中からリップを取り出し札を中央に置き、札を取り囲むよう4方に文字を書く。
「オン・ビソホラダ・ラキシャ・バザラ・ハンジャラ・ウン・ハッタ オン・アサンマギニ・ウン・ハッタ!」
真言を唱え終わると同時に、史遠は後方へと弾き飛ばされた。コンクリートの壁に強く背中を打ち付けられ、その痛みに顔をしかめた。
「・・・・っ!!!!!」
「・・・・だ、大丈夫っすか!?」
慌てて駆け寄った五十嵐に、史遠は右手を軽く上げた。
「・・・大丈夫です。それより、札を何とかしなくては・・・」
――私では、どうすることもできない。
封印方法が分からないうえ、正しい扱い方も知らない史遠には、応急処置として札に結界を張ることしかできなかった。だが、それも史遠が吹き飛ばされるという結果に終わってしまった。
しかし、札を放っておくわけにはいかない。史遠は、苦虫をすりつぶしたような顔でつぶやいた。
「五十嵐さん、一度署に戻ってください。」
「・・・・え?」
「私は、"本家"へ行きます。その報告を真神さんに。」
「あ、ああ。はい。わかりました。コレ、どうします?いっそのこと祠に戻しましょうか。」
五十嵐の提案に、史遠は呆れたが、札が集め続ける陰の気を受ける器として存在していた祠なら戻しても平気かもしれない、というどうしても一抹の不安を抱えざるをえない考えを否定することもできずに、彼女は頷いた。
「んじゃ、戻してきますんで。先に外行っててください。」
「わかりました」
ゆっくりと立ち上がり、史遠はその場を後にした。
その場所から、史遠が見えなくなったことを確認した五十嵐は妖笑して呟いた。
「さて、どうやって元に戻そうか・・・。」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
昇る陽は高く、空は蒼い。
正面玄関のつくる日陰の中、史遠は柱に背を預け目を閉じた。
日陰の中にいても、周囲の光のために目を閉じても暗闇に放り出されることは無い。
――本家。また、あの閉塞された場所へ自らの足を進めるのか。
史遠の言う"本家"とは、京都にある実家のことである。土御門の流れをくむ、陰陽の名門天桜家。
現当主は、彼女の二つ下の弟・天桜久遠。同じ家にいても、顔を合わせることが少なかった弟。
親族の間柄でも敬語を用い、人形のように行事や仕事をこなす事が、史遠の幼い頃の常だった。
歳を重ねるにつれ、いつしか"本家"は閉塞した非常の世界だと思うようになった。
そして、現在。特犯の仕事を理由に、史遠は"本家"へ寄り付かなくなった。まさか、その"仕事"で戻る羽目になるとは想像もしていなかった。
そんなことを考え、史遠は失笑する。
――感情などいらない。これは、"仕事"だ。
そうこうしているうちに、五十嵐が史遠の元へ駆け寄ってきた。
「お待たせしました。駅まで送りますよ」
「お願いします。」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
京都につくころには、橙と薄紫のグラデーションが空を彩り、日は傾きかけていた。
道のりは、何事も無く過ぎ去った。金銭については、警察手帳を見せれば署につける事もできる。
だが、史遠の足取りは重い。"京都"という"本家"想像させる言葉を聞くことでさえも、胸の奥がうずく。えぐられ、何かを喪失するかの
ような痛みを感じる。やっとのことで実家の門前に来た史遠を待っていたのは、十七代当主であり弟でもある久遠の姿だった。
「お久しぶりです。お元気でしたか。」
そう、人好きする笑顔で史遠に微笑みかけた。史遠を見据える少年の眼は大きく、まだあどけなさを残す顔立ちをしている。
「・・・見ての、通りです。御当主もお元気そうでなによりのことです。」
「久遠でいいですよ。史遠ちゃん。」
苦笑しながら、もうそろそろいやそうな顔して来るんじゃないかと思って外に出てみました、と久遠は言う。
「来なかったらどうするつもりだったの・・・。久遠の先見の占は完全じゃないのでしょう。」
「まあ。兄弟ですし、そんな気がしただけです。」
どうぞ、と史遠を促し門をくぐる。
「史遠ちゃんが来る前に、裏でいたずらしたから家には先代以外いませんよ。」
史遠に背を向けたまま、聞こえるように呟くとそのまま歩いていってしまった。史遠も、彼のの言葉に安堵しそれに続く。
「調べ終わったら、茶室に来てください。史遠ちゃんの好きな和菓子買ってありますから。」
笑顔を向けられ、史遠も自然と表情が柔らかくなる。愛想笑いでない微笑みを返し、史遠は呟いた。
「………ありがとう。」
シンと静まり返った書庫へと足を進める。扉を開けると、書庫独特の匂いが鼻をつく。
史遠は本棚に並べられた、というよりつめこまれたという形容が正しいが、依頼書が綴じられたファイルを崩れないように引き出した。ファイルには、四年前の日付が線の硬い整った文字で書かれている。
「四年は、経ってない・・・。三年・・・」
ファイルを本棚へ戻し、三年前の日付が書かれているファイルへと、指をずらす。そのファイルは、他のファイルに比べて綴じられている依頼書・調査書が少なかった。黙々と、ただそこに綴じられている調査書・依頼書に目を通していく。
――一枚、二枚・・・次で、最後・・・これで無ければ・・・私の勘違い、もしくはおばあ様の・・・
そう思案しながら、史遠は最後のページをめくる。
「・・・あった。やっぱり・・・兄様の・・・。聯華学園・・・封印依頼、札じゃない、祠の・・・?」
確かに、と史遠は思う。あの時―五十嵐が、祠の封印を解いた時、嫌な霊圧は感じなかった。己が結界を解けば確信を持つことができただろうが、あのときの史遠にそれを判別する術は無かった。
「方法・・・は・・・書かれてない・・・。でも、兄様の術なら・・・限られてくるはず・・・・?」
ファイルを戻した折、足元にメモが落ちたのに気づいた。
「これ・・・?」
メモを拾うと、そこにはファイルの日付と同じ筆跡の文字。
「兄様の・・・日記・・・?」
『・・・呪術者の残
遠と同年の子供が
せよ、時間が』
行が変わっているために文章は読み取れなかった。"呪術者"の文字で思い出されたのは、聯華学園へ行く前に目を通した調査書。史遠は、戻したファイルを取り出し、再びめくり始めた。
「・・・この資料、特犯の・・・。刑事課から?日付・・・5年前?」
『犯罪組織の壊滅経緯、首謀者の特定、SAランク指定。』
「SAランク、特犯の域・・・。」
パソコンの無機質な文字はそこまでで、その下は手書きでかかれていた。
『担当:天桜 嗣史 二月二十九日
午前二時ごろ、身元不明の少女を発見・保護。術者であることは、まず間違いない。
身分照合により、明日にでも引き取り手の手続きがされる予定。』
その後、順調に調査は進んでいたようで、報告書は五ページに及んでいた。
史遠はその経過を目で追う。
「最後・・・三年前・・・・。」
『担当:天桜 嗣史 九月四日
首謀者―特定』
そこには、名前はかかれていなかった。ただ、"特定"の文字が多少震えていたことが、史遠の目に留まった。報告書には、その後何も書かれていない。同年十月、天桜嗣史――殉職。享年二十三歳。
「兄様・・・。」
呟く言葉は虚しくも、ただ其処に広がる空間に呑み込まれていく。
史遠は、ファイルを戻し書庫を出た。離れが騒々しい。久遠の悪戯とやらが続かなくなったのだろう。茶室へは、行けない。
「・・・お気遣い、ありがとうございました、ご当主」
――私のいる場所は、ここではない。ここへは、帰るのではなく戻るのだから。
久遠は唯一無二の肉親だからこそ分かることもあるんですよ、と来る人のいない茶室で一人呟いた。
「またいつでも、来てください。・・・姉さん」
それぞれの、あるべき場所。
捻じ曲げてはいけない、そのすべて。
それは、無限に広がり続いていく。
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